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今泉城 (陸奥国)[いまいずみじょう]
今泉城(いまいずみじょう)は、南北朝時代から江戸時代の初めまで陸奥国宮城郡、現在の宮城県仙台市若林区にあった城館(日本の城)である。仙台平野の低湿地にある平城で、水濠と土塁をめぐらせていた。弥生時代から続く集落に作られ、遺跡としては今泉遺跡の一時代とされる。数次の発掘調査で外堀・内堀の一部と城内の建物多数が確認された。城主は須田玄蕃と伝えられる。20世紀後半の急速な宅地化で、かつてあった地面の凹みはなくなり、地上に城の痕跡は残っていない。 == 歴史 == 今泉城があった場所での人間の活動の痕跡は、縄文時代にまで遡る。古代から近代まで続いた歴史の長い集落で、城跡も含めて今泉遺跡と呼ばれる。 中世には、城として使用された期間も含め、掘立柱建物が多数建てられた。長い年月にわたって次々建て替えられた柱跡が見つかっている。井戸の跡も見つかっており、これまた何度も代替わりして明治時代まで続いていた。 城が築かれたのは南北朝時代のことと推定される。二重の堀の間に土塁が作られた。堀には橋がかけられた。城には大量の礫(つぶて、投げて敵を攻撃するための石)が蓄えられた。その後一時利用度が低下したが、戦国時代に再度利用された。江戸時代に編纂された『仙台領古城書上』によれば、須田玄蕃が城主として居住した。やはり江戸時代の『伊達世臣家譜』には伊達政宗の家臣として須田玄蕃が見え、同一人物の可能性がある。江戸時代初めに廃止になった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今泉城 (陸奥国)」の詳細全文を読む
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